絶対にできる!不登校・中退からの海外留学

「留学費用・準備のココア」は基本的には留学やワーキングホリデーの費用削減の方法について、様々な角度から提案やアドバイスとなるべく内容を紹介しております。
しかし、ここでは「節約」の話は少しおいておいて、「絶対にできる!不登校・中退からの海外留学」と銘を打ち、不登校者が海外留学に出かけることついて書かせて頂きたいと思います。
それは「留学・不登校」で検索すると、余りにも心無い意見が沢山見られたためで、不登校がどういうものかを理解されずに書かれている方が非常に多いように感じたためです。
そこで、元不登校者で高校中退経験のあるココアは、自信の経験を元に、「留学費用」とは関係なく不登校・中退者の留学について紹介させて頂きたいと思います。
立ち上がれるぞ不登校・中退者!!

現在の社会は非常に複雑化してしまい、思春期になると「いじめ」が原因からの不登校や、挫折や校風が合わない事による高校中退など、子供たちが抱える問題は日々深刻化しています。
ココアは、不登校経験者であり高校中退経験者でもあるのですが、当時の事を振り返ってみると、「学校にメリットを感じない」「頭の悪い教師から教わる事は何もない」と言った、学校を社会と考えるのならば完全に反社会的な考えを持っておりました。
恐らく、息子・娘さんが不登校となっておられる親御さんの多くは、「なぜ内の子は不登校となっているのか?」と言う根本的な理由にはまだ辿り着いていない事と思いますが、実はこの根本の理由は後で分かるもので、現在進行中の場合には全く分からないものだと思います。
それは、ココアもそうだったように、本人自身が不登校となっている自分について理解ができていないからで、不登校の理由らしきものは沢山見つかっても、学校に通う理由が見つからない事が大きな問題となっているケースが多くあるように思います。
ココアはこう言う不登校のケースには、海外留学で「外を見ると言う体験を積むべきだと」考えています。
もちろん、1人、1人で不登校や中退になる原因は違うと思いますが、海外留学に出かけると、「自分が行動しなければ何も切り開けない」と言う状況に強制的に持って行かれる事になり、反社会的な行動や自分の殻に閉じこもるような行動は、そのまま自分の不利益に返ってきてしまいます。
そう言った状況になることで、人間は自然に最も最適となる行動を取るようになり、それは社会とのコミュニケーションの構築や、ぬるま湯に浸かっていた自分自身に気付かされる事になります。
ココアは、不登校・中退者の海外留学と言うのは、「海外の高校で資格を取得したり、語学力を伸ばすためのものでは無い」と考えており、そう言ったものは後で付いてくる「おまけ」だと思っています。
不登校や中退者の方々が「自分に自信を付ける」と言う意味で、ココアは不登校・中退者の留学を応援している事を、まず始めにご理解ください。
追記: 日本の高校中退者には「カナダ永住権取得ルート」「短大・四大卒業資格習得ルート(日本の高校卒業資格は必要無いです)」「3年で実質無料留学、自立支援、キャリア・学歴取得ルート」での留学がスタート致しております。
中退者の海外進学ルート
ココア留学では不登校や中退者の方々が海外進学に入られるケースが多数ございます。以下のルートより黄色のラインの『中退』から先をご参考ください。

上記の進学ルートでは、受験勉強や対策を行うことなく進学を実現させることができるものを付与しておりますが、詳しくは以下の参考記事もご覧ください。
過度な期待からの海外留学なら止めるべき
先ほどは不登校や中退者が留学に出かけて、「自分自身の行動や考え方を見直す機会を得る海外留学は最高だ」と言う内容で紹介させて頂きましたが、ここでは一転、もしも御両親方が、留学者本人に対して「息子・娘の将来のため」と過度な期待をされているようならば、ココアは海外留学に断固反対したいと思います。
それは、私を含め、不登校や中退するような人と言うのは、何処か感受性が豊かで感性が鋭く、変に人の気持ちが分かってしまったり、親の期待などが痛いほど分かってしまう人が多いからです。
海外留学中は、留学先で普通の生活するだけで、精神的にも体力的にも毎日追い込まれることになり、正直、親と言えども他の人の期待などを背負っている余裕は全く無いため、特に感受性豊かな人にとってはプレッシャーが大きすぎるからです。
もしも、お子さんが「何か1つでも良いので留学中に見つけてくれるならば・・」と言う気持ちで留学へと送り出して頂けるのであれば、ココアは最高に幸せです。
高校中退から海外留学へ

続いて、中学校で不登校となってしまったり、高校を中退してしまった方のために、「まだまだチャンスは残されているぞ!」と言う事を紹介させて頂きます。
中学校卒業後、留学先の高校に通い、例えばオーストラリアやニュージーランドなどの高校を卒業すると、日本の大学受験では帰国子女枠として受験できる最高のプランが有ります。
これは、世間に名前が通った一流大学に入学できるチャンスが、日本の高校を卒業するよりも大いにある事を意味しており、「学校でバカにしてきた奴ら」を見返すには絶好の機会となるはずです。
この制度について、賛否両論あるようですが、ココアは「海外で歯を食いしばって3年間過ごして帰国するのだから、それくらいのアドバンテージ(有利)な条件が得られても構わない」と考えています。
ましてや、社会に出たならば英語ができると言う時点で、日本で過ごしてきた他の人たちよりも圧倒的に有利ですし、「高校を中退したからと言って、自分はまだ何も損をしていない」と考えてください。
ただし、「留学に向かう」と言う、他の人が余り通らない道を進むと言う事は、「自ら道を切り開く必要がある」と言う事は十分に理解してください。
今まで自分を変な目で見てきた連中を、「ギャフン」と言わせてやりましょう!
高校中退からの海外留学の体験
最後に、ココアの著者である私が実際に経験した、高校中退からの海外留学体験について紹介させて頂きたいと思います。
中学・高校時代のココア
私は、中学時代は、俗にいう天才型とでも言いましょうか、そこまで勉強はしなくても、県内統一試験を受けたならば全教科で10位以内には入るほどの成績をコンスタンスに出しておりました。
それが、高校に入学すると、テスト範囲の広さや、覚えなければいけない内容が多すぎて、「勉強しなければ付いて行けない」と言う事に気が付いた時には、それまでの天才型からは急降下してしまい、高校内のテストでは毎回最下位の落ちこぼれとなってしまいました。
なぜ、そこまで勉強しなかったのかと言うと、中学生までのココアは勉強しなくても勉強ができたので、他の人よりも時間が余っていたのか「音楽・バイク・車・お酒・タバコ」など、高校生にとって全く必要の無い方面の学習に必死になっていたからでした・・(反省)。
高校時代の転機
そういう生活を送っている訳ですから、高校での成績が上がるはずが無い訳で、勉強している人たちとの差もドンドンと開いていくわけです。
すると、そういう生徒に対しては、「教師」と言う職業の方は、厳しい対応を取ってくる訳ですが、毎日のように愛の無い愛の鞭が飛んでくる訳です。
そんな中、変に大人社会を理解していた私は、「なぜ、このような無能な人間は他人を貶めるような行動を取るのか?」、「どうして生徒に対して暴力を振るうだけで、教師として社会的に良質の立場や高給を得る事ができるのか?」と毎日考えていた訳です。
今にして考えてみても、「問題は自分に有ったものの、高校生と言う敏感な時期の子供に接する態度として、その先生の対応は間違っていたのだろう」と言う結論を持っています。
そんなこんなで、高校ではゴミ屑扱いを受けるようになり、先生が教えようとする学問についての興味は全くなり、私はついに学校には余り行かないようになり、ある日、「今日で人生を止めよう」と決意する事になります。
高校中退までの波乱万丈
その日、学校に1時間目だけ出席した私は、面白くも興味も無かった授業に嫌気が指し、そのまま学校を抜け出し帰路を辿りました。
その帰路の途中に自動販売機で缶ビール3本購入し(当時は自動販売機で簡単に買えた)、家に帰って大好きな音楽を大音量で流しながら、ビールを1人飲んでいました。
正直、その日に人生を止めようと決めていたのかも知れませんね。
後は、首にビニールロープを巻きつけ、ロープの一端を2階の自室の部屋の柱に、もう一旦を20キロはあった大型のアンプ(ギターのスピーカー)に巻きつけると、そのまま2階の窓からアンプを思いっきり外に投げました。
その時の記憶はほとんど残っていないのですが、意識が無くなる寸前のところで、「生きたい」と思ったのか、それこそ死に物狂いでロープ切り、2階から転げ落ちるアンプ「ドーン」と言う音だけが部屋に響いていたのを覚えています。
その後、家を飛び出した私は、当時バイトをしていたため数十万円の蓄えが有ったのですが、なぜか1000円札1枚とタバコだけをポケットに入れて、バイクを持っていたのに自転車に乗り込み家を飛び出していました。
後は田舎町を放浪し、野宿しながら仕事を探してみたりしましたが、家出の高校生を雇ってくるようなところも無く、家で先が県外の田舎町まで出て行ったので、夜になり出会う人は暴走族と言われる方々で、そう言った方々に食事を御馳走になりながらの10日間でした。
川で洗濯や滝でシャワーを浴び、公園で水をお腹一杯になるまで飲みと言う生活をしていると、突然、「今日家に帰ろう」と思い立ち家に戻った訳ですが、その後、私は両親と相談をして高校を中退する事を決意します。
高校中退後の厳しさと留学
高校中退後は、私が育った地域では「一流とされる高校」だったので、近所の反応と言うのは予想した以上に大きく、中学校時代の部活動の先生まで話が流れ連絡をくれたほどでした。
高校中退による最も大きな問題だったのは、私の頑固な祖父で、親戚が多く集まる祭りの最中、私に「恥さらし」などと罵倒し、血気盛んだった若い私は当時70歳近い祖父に襲い掛かり、親戚の男連中に囲まれ、「2度とこの家の敷居を跨ぐな!」と家から放り出されるなどと言う事もありました。
当時は今と違って、一流と言われる高校を中退するなんて人は1人も居なかったので、話に聞けば私の中退は数年ぶりの出来事だったそうで、親戚からすると「良からぬ前例を作ってしまった」と言う思いが有ったのだろうと思います(今の中退はもっと気楽になっているので安心してください)。
そんなこんなで、だんだんと手が付けられないようになっていった私は、喧嘩を職業とされている方々との交流も生まれ始め、当時の私自身も「行くところまで行ってやろうか?」と言う意気込みでおりました。
そんなある日、私の両親が私の素行の悪さを心配して、留学の提案をしてきたのでした。
私は「留学なんて意味ない事はしたくない」「バイトで十分食っていける」と考えていたのですが、それまでの自分の行動で、かなり心配をかけてしまった両親の思いも考え留学に出かける事にしました。
オーストラリアへの短期留学
オーストラリアのパースに留学した私は、田舎者根性と言いますか、世の中の怖い物は「幽霊とヤ○ザ」だけだと考えていた事も有り、「日本人は絶対にオーストラリア人に舐められる訳にはいかない」と言う、今にしたら笑えるような「日の丸ど根性」のような考えで生活をしていました。
しかし、無残にもそう言った「心構え」は打ち砕かれる事になります。
それは、少しオーストラリアの生活にも慣れてきて、夜の街に繰り出してみた時のことなのですが、深夜0時を過ぎても遊んでいた私の店の外に出ると、昼間とは全く違う町がそこにあって、「本気でヤバそうな人達」がウヨウヨと居たのです。
その光景を見た私は、「ここ(海外)で馬鹿な行動を取ったら、命の保証は無い」「アジア人なんて虫けらのように捨てられる」と言う恐怖でした(正直考えすぎです)。
店の入り口で、「歩いて帰るべきか、それとも店に戻るか」とアタフタしていた私に、1人の日本人男性が声を掛けきました。
「おー少年!迷ったか~!」
その日本人男性は酔っぱらっているようにも見えましたが、日本人だと分かり安心した私は、現在の状況を説明すると、「この辺りの夜は、1人の深夜行動は危ないよ~。良し、待っとけ!」と言って、店の前に止まっていたタクシーに声を掛け、私の家の住所まで運転手に伝えてくれました。
運転手との話を付けると「家までのタクシー代は持っているか?」と言う問いに軽く頷いた私に、「○○ドルで行けるってよ!良かったな!」とタクシー代の交渉までしてくれていました。
私は、その男性に一礼をすると、そのままタクシーに乗り込み、何とか家へとたどり着く事ができたのですが、手を洗おうと洗面所に行くと、よほど怖かったのか、突然手が震えだし、蛇口を捻るのに苦労した事を思い出します。
その後、なぜあの親切な日本人男性に名前を聞かなかったのか?と何度も後悔した訳ですが、当時、17になったばかりで英語が全く話せないまま、外にはジャンキーやら物乞いやら、さらに、目の前にには、漫画の「北斗の拳の世界(知らない人多いかな・・)」が広がっていたので、もう一杯一杯だったのでしょう。(※ 注:パースは危ない町ではありません、当時私が行った場所が運悪く酷いところだっただけです)
世間の大人たちの事を「ゴミやカス」だと考えていた自分にとって、これほど圧倒的な「敗北感」と言うのは過去に経験が無く、心の何処かで「力じゃ無い事もあるんだな・・」と、助けてくれた日本人男性を思い出してイライラする事もありました。
その後、オーストラリアでの生活を無難にこなした私の短期留学期間はあっと言う間に過ぎてしまい、帰国する飛行機の中で「自分には喧嘩で食べていけるほどの根性は無いな」と1人考えていました。
留学から帰国後
私は、留学先で自分の小ささを嫌と言うほど思い知った事と、「自分の気の弱さ」を知ってしまった事が自分の人生を見つめ直す機会となり、親の薦めも有り再度高校に通う事にしました。
高校は中退していたのですが、私の知らないところで両親が、私の高校1年生までの就業記録を学校から取ってくれていたため、1年生からやり直しと言う形では無く「編入」と言う形で違う私立高校の入学試験を受ける事になりました。
その編入試験で、私は「学校始まって以来の全科目満点」で見事に編入する事に成功し、その後は、何と大学まで卒業しています。
祖父とは高校中退の騒動以来、5年間一切音信不通、もちろん祖父の家にも1度も行かなかったのですが、亡くなる1年前、祖父の家に行き、何を話したかは覚えてませんが、祭りに参加する準備を手伝って貰った事を覚えています。
不登校・中退は人生のチャンスと考える

不登校や中退の原因や理由と言うのは色々有り、当時の私のようなケースばかりでは無いと思いますが、不登校や中退を経験した私が思うのは、やっぱりちゃんと卒業するのが一番。
でも、どうしてもダメな時とか、がんばってもダメな時ってのは絶対にあるもので、そんな時には「全力で逃げちゃってください!」。
「振り返ったり、躊躇する事も無く全力で逃げちゃってください!」
そして、誰も追ってくれないほど、逃げて、逃げて、逃げて、ついに逃げ切ったなら、そこが攻勢に出る千載一遇のチャンスです。
もちろん、そのチャンスを生かすも殺すも自分次第ですが、もしも、チャンスが自分の前に転がってきたならば、今まで逃げてきた分、他の人が真似できないくらい全力で苦労すれば良いんです。
まさか、留学費用のサイトで、自分の中退の経歴まで紹介する事になるとは思わなかったのですが、近年になって不登校や中退が大きくニュースで取り上げられるようになって、「どんな気持ちか、経験が無い奴には分からんわな・・」と私も思っていました。
「世の中には無能な大人ばかりだ」と思っている人も沢山いると思いますが、広い世界を知ったり、留学に出たりすると、この考えが「間違っている」と言う事にも気付くはずです。
正しくは、「自分の周りには無能な大人ばかりだ」です。
最後に、もしも、不登校や中退で悩んでいる人がここにいるならば、次のように考えて頂ければと思います。
「お前らは整備された道しか歩けないだろうが、私は道の無い場所にも自力で道を作り歩く事ができる。」